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私たちの根っこにある安心
根っこの『安心』についてのお話。
art×ルーシーダットン×旅で癒しと希望を
コンセプトにしています。
その根っこにあるのが『安心』です。
昔、「抱っこボランティア」をやりたいと思い
色々調べてみたらその当時の自分では難しいと思ったことがあります。
なぜ「抱っこボランティア」なのか?と言うと
その当時、子育てしながらオーラソーマカラーセラピーを学んでいました。
無条件の愛というkey wordや赤のテーマを学ぶ中で
家族という一番初めの社会の中で
無条件に愛される記憶、体感がある人と薄い、ない人とでは
大人になってからの安心感が違うんじゃないかと。
何かしらの事情があり
施設などに預けれられた赤ちゃんを抱っこさせてもらうことで
その子が例え大人になって明確に記憶になくても
手の温もりやあたたかさに包まれていたという
体感はどこかに残るんじゃないかと思ったのです。
自分も大切にされていたんだという。
その記憶があると人は、何かが起きた時でも
大丈夫、と自分の中心に還って来れるのではないかと思います。
「安心」が土台でその後に「癒しと希望」です。
最近『13の禁止令』という心理学の考え方のひとつと出会いました。
正確には交流分析の中で扱われる概念で
幼少期に親や周囲との関わりの中で「〜してはいけない」という
メッセージを受け取り、それが後の生き方や人間関係に影響するという考え方です。
その中で私は「所属してはいけない」というところに引っかりました。
まあ集団や組織の中には属せないタイプだと自覚はありましたが
そうではなく
もっと自分の奥にあるところで納得したのです。
それから「私はここにいていいんだ」
と実感できる現象が起きてきました。
安心を外に求めたくなりますが
いつまでも本当の安心には辿りつけない・・
視野を広げるって大切ですね。
一つの物事をいろんな視点から客観視できますから。
この心理学の考え方もそうですが
脳科学の視点からの見方も面白いですよね。
ゆっくり学びたいなっても思ってます。
話がそれちゃいましたが
自分が自分であることに安心し、自分に還ることが出来る。
そんな安心を土台に癒しと希望が少しづつ生まれ
その人らしい笑顔の花が咲いていく
そんな時間をお届けできたらと思っています。
悲しい時は悲しいままでいい。
立ち止まっている時は立ち止まっていていい。
それでも「私は私でいい」という安心がある。
そこからその人自身のタイミングで、花が咲いていく。
JAZZピアノで自分の壁を取っ払う
幼稚園から中学2年生頃まで習っていたピアノ
その後はずっと趣味で弾いていた。
いろんな感情をピアノは受け止めてくれて
時には親に
ピアノに鍵をかけられたな〜という記憶もある。
いつかJAZZ弾けたらかっこいいなあ〜なんて思っていたら
4年前かな突然その機会がやってきました。
タイミングは突然やってくるものですね。
クラシックでは楽譜通りに弾かないといけないけれど
JAZZピアノは「楽譜通りに弾かないで」と言われる。
私にとって
自己表現、自分の壁を取っ払う訓練の場でもある。
内側の状態が顕著に音に出ます。
ず〜っと1人で弾いてきたピアノ。
今ではセッションが楽しい。
1人では味わえない音の広がり。
初めてピアノとドラム、ギター、ウッドベース4人で
枯葉のセッションをした時の感動は忘れられません。
音楽を通しての気づきがたくさんあります。
そして発表会があると知っていたら
私は先生の教室へび込んでいなかったな。笑。
発表会のことを知り、出たくないと言ったら
「人前で弾かないと上手くならない」と即却下された。
即答でしたね、笑。
こうやって少しづつ少しづつ
自分というものを外に出していけるようになってきました。
そのままの自分で。
アドリブをさらっとかっこよく弾けるようになるぞ!
ただ自分を生きる、答え合わせの1日
答え合わせをしてきたこの日
大雨の予報だったけど
帰宅後の窓の外には虹が出ていた。嬉しい♡
伝えたいことはたくさんあるけれど
どう言葉にしていいのか。
文章にしようとすると止まってしまう。
けれど
この感覚を人に伝えるには『言葉』が大事!と思って
実は、苦手意識のある言語化の練習をしているのです。
このブログもそのひとつですね^^
ただ自分を生きる。ただそれだけ。
その根っこの深いところを
わかってもらえることは少ないらしい。
だから自分が悪いんだ、とか
責める癖にもつながっていた。
けれどその癖のおかげで、ここまで生きてこられた。
もうそのやり方は終わり。
自分との戦いもやめ、鎧を脱いだら
と〜っても楽に生きていることを実感できている。
2026年の後半は古い自分の中の概念を壊し
新しいやり方で生きてく始まり。
同じように感じている人も多いなって思います。
忘れないうちに。
答え合わせの最後に『揺蕩う(たゆたう)』という言葉をもらいました。
揺蕩う(たゆたう)とは
ゆらゆら揺れ動く。
気持ちや考えが定まらず、ゆっくり漂うような状態。
「迷う」よりももっと静かでゆるやかで流れに身を任せ
無理に答えを出さずに
流れの中で自分の感覚を感じながら過ごす。
今進めているお仕事のことに向けていただいた言葉です。
この言葉を味わいたいと思います。
やっとこさ自分のまんまで生きられるようになってきた
なんだか嬉しい答え合わせの1日でした。
早池峰山の上で見開く眼
今朝の盛岡は、とっても気持ちの良い朝
窓は全開で虫の鳴き声や遠くで聞こえる車の通る音が聞こえてきて
ゆっくりした朝を迎えています。
先日、早池峯神社に向かっている時
いつもの慣れた道
お天気はグレーの雲に覆われた曇り空
ふと早池峰山の方を見たら
そこだけ少し丸みを帯び
細長くぽっかりと青空で
真ん中には瞳のように雲が細長くあって
周りは濃いグレーの雲に覆われ
まるで大きな大きな『眼』のようでした
早池峰山の上でお大きな眼が見開いた!
あ〜開かれたんだな
このまま
ここから始まるんなだって受け取りました
そんなことがあった9月1日
白龍さんの絵を2枚宮司さんへお渡ししてきました。
さて、どうなるか!楽しみにして待ちます⭐️
今日もよき1日をお過ごしください♡




